さらば戦争!映画祭              GoodByeWar! FilmFestival - 2009

さらば戦争!映画祭について




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2009年12月31日(Thu)▲ページの先頭へ
さら戦2009の様子&新年会のお知らせ
映画祭2009の様子です。
ご来場いただいた皆さま、トークゲストにお越しいただいた皆さま、どうもありがとうございました!☆
        

さら戦新年会を、1月25日の19時から、上野でやります。
映画について語りたい方、映画祭スタッフをやってみたい方、どなたでもご参加下さい!
詳しくは実行委員会まで。

■■■映画祭実行委員会連絡先■■■

■メール
info@eigasai-60.com
■住所
〒110-0015 東京都台東区東上野1-20-6 丸幸ビル3階
オリーブの樹法律事務所気付
「さらば戦争!映画祭」実行委員会

ちなみに、映画祭2009打ち上げと二次会の様子↓
  
お酒と疲れで最後には寝ている人もいました…。^^


2009年12月15日(Tue)▲ページの先頭へ
「パリのモスク」上映に際してアメリカからメッセージ
「パリのモスク」の英語字幕を作りアメリカで上映してこられたアネット・ヘルスコビッツさんから映画祭へのメッセージが寄せられています。

...........................

アネット・ハースコヴィツから「さらば戦争!映画祭」へのメッセージ

*アネット・ハースコヴィツはフランスに生まれ現在アメリカ合衆国在住。1943年、4歳のとき、両親はアウシュビッツに送られ、そのまま戻ってこなかった。アネット自身は、地下の救援組織によってかくまわれ、生き延びることができた。現在、「パリのモスク」のアメリカでの上映に力を尽くしている。*

「さらば戦争!映画祭」で上映される「パリのモスク」について一言を、との米田麻衣さんの要請に応えて、この映画をこれからご覧になるみなさんに、映画の背景を説明したいと思います。

この映画が描いているのは、ナチによるヨーロッパ系ユダヤ人殺戮のただ中で実際にあった話、それも多くの人が知らなかったと驚くような事実です。

1940年、フランスがドイツに破れてのちに成立した傀儡政権は、全面的にナチ・ドイツ占領軍に協力しました。協力にはユダヤ人狩りも含まれていました。

その中で、協力しなかった人々や団体がありました。パリの大モスクの指導者もその一人で、1940年後半からモスクの全スタッフとともに、ユダヤ人とレジスタンス闘士をモスクにかくまいました。

当時フランスに済んでいたムスリムのほとんどは、アルジェリアの山岳地帯カビリアの出身でした。カビリアに済むカバイル人は、8世紀にアラブ人たちがこの地を征服する以前から北アフリカに住むベルベル人の一部族です。アルジェリアは、1830年にフランスが暴力的に制圧して以来、フランスの植民地となっていました。

フランス人に国土の優良な部分を占領され、アルジェリア人は生計をたてることができなくなって、フランスに職を求めて移住してきました。アルジェリア人は、第二級市民として差別されていましたが、占領者ドイツに対するフランス人たちのレジスタンスに参加していきました。アルジェリア人の移民は、ナチズムは人種的優越性という狂ったイデオロギーであると見抜いていました。

1942年7月16日の未明、フランス政府はフランス国籍をもたないユダヤ人の大量拘束を実行しました。パリでは、警察が市バスを徴発し13000人のユダヤ人を拘束して積み込みました。その大部分は女と子どもたちでした。男は拘束のうわさが流れるとすぐ身を隠していたからです。誰もが拘束されるのは男だけ、と信じていました。ところが、女と子どもが拘束され、2歳から16歳までの子ども4000人が拘束されたのです。

翌日も拘束は続きました。が、アルジェリア移民の労働者が住まうパリの貧しい宿屋から宿屋へ、カバイルの言葉で書かれた小さなメモが回され、字の読める男たちによって読み上げられていました。

「昨日未明、パリのユダヤ人は拘束された。老人も女性も子どもも。私たちと同じに異郷の地にあり、私たちと同じ働く者たち。かれらは私たちの兄弟。かれらの子どもたちは私たちのこ子どもも同じ。その子たちの一人に出会った者は、不幸や悲しみの続く限り住みかと保護を与えるべし。我が同胞よ、あなたの心は寛容である」

この言葉を読むと、いつも涙があふれてきます。

7月のこの2日間に拘束されたユダヤ人は、ほんのわずかの例外を除いてアウシュビッツへ送られ、殺されました。

私の両親は、このときの拘束ではつかまりませんでした。両親は、ルーマニア系ユダヤ人で、まだそのとき、ルーマニア政府はユダヤ人を守る立場を堅持していたからです。その年の秋、ルーマニアは保護をやめました。両親は、1943年5月、拘束され、6月、アウシュヴィッツに送られ、もうそれきり帰ることはありませんでした。

兄と姉、そして私は、1943年初め頃に、両親によって、農村部へ送られていました。それ以来戦争が終わるまで、私たちは身をかくして生き延びたのです。17歳だった兄は自力で。でも姉は13歳、私は4歳でしたから、地下の救援組織の手にゆだねられ、いのちを救われました。こうして助かったユダヤの子どもたちは、500人あまりいます。

戦争が終わって50年もたった2003年、子どものときナチからかくまわれたユダヤ人たちが発行しているニュースレターに載った短い記事が目にとまりました。記事は「パリのモスク」の映画監督、デリ・ベルカーニが書いたもので、モスクの救援活動の証人をもとめていました。

ちょうど911の事件の後で、アメリカではムスリムに対する攻撃が数多く起こっていました。イスラームについて知識のない人々は、ムスリム イコール テロリストと関連づけていました。
デリ・ベルカーニは、私がパリにいた頃からの友人でした。私は彼に連絡して、映画のフィルムを手に入れました。英語字幕をつけ、現在、教会、学校、市民センターなどで、私自身の体験を語りながら上映しています。

このような映画がホローコーストからの生還者によって上映される、という、そのこと自体が、映画を見る人に衝撃を与え、ユダヤ人に対するものであれムスリムに対するものであれ、偏見は無知から生じるのだと気づかせるだろう、そう考えて、上映を始めました。たとえば、北アフリカや中東の多くの地域では、何世紀もの長い間、ユダヤ人とムスリムが平和に共存していたことは、ほとんど知られていません。

この映画で描かれているモスクの実話は、インターネットで広まっています。また、子どもたちに読んでもらおうと、美しい絵本もできたところです。長編の劇映画を作ろうという話ももちあがっています。

日本語字幕をつけ、今日の映画祭で上映してくださったみなさん、ありがとうございます。私は、この映画祭のタイトル「さらば戦争!」に大きな希望を見いだしています。いま、一部の国々は、恐るべき量の殺戮のための軍備をもっていて、そのすべてはほとんど市民に向けて使われてきました。いまこそ、国家間の紛争解決の手段としての戦争に反対すべきときです。

この映画が、さまざまなところで多くの人に観られ、「さらば戦争!」への小さな一歩へとつながることを願っています。


......................
以下に原文を掲載します。

A message from Annette Herskovits to the Film Festival: Goodbye War!.

Annette Herskovits was born in France but now lives in the United States. In1943, when she was four years old, her parents were deported to Auschwitz,never to return.

She survived the war in hiding thanks to a clandestine rescue network. Shehas been instrumental in introducing the film to viewers in the UnitedStates.

The film documents an episode in the Nazi destruction of European Jews that is surprising to most people:

After Germany defeated France militarily in 1940, a puppet government tookover, and collaborated fully with the Nazi occupiers, including the hunt for Jews.

But some individuals and institutions did not cooperate: Starting in late1940, the rector of the Grand Mosque of Paris, with the help of his entire staff, hid Jews and resistance fighters inside the mosque,

Almost all Muslims living in France at that time were from a mountainous region of Algeria called Kabylia. The Kabyls are Berbers, who inhabited North Africa before the Arab conquests in the 8th Century. Algeria itself became a French colony after a brutal war of conquest starting in 1830.

French settlers took the best land. Algerians, unable to support their families, migrated to France to work. Although they were treated assecond-class citizens, many became involved in the French resistance against the occupiers. They saw clearly that Nazism was a deranged ideology of racial superiority and domination.

In the early morning hours of July 16, 1942, the French government helped carry out a massive roundup of Jews of non-French nationality. In Paris,police in requisitioned city buses arrested 13,000 Jews, mostly women and children. Men had gone into hiding as rumors of a coming roundup circulated everyone believed only men were at risk of arrest. In fact, more than4,000 children aged 2 to 16 were among those taken.

On the next day, as the roundup continued, a tract written in the Kabyltongue circulated through the miserable hotels that were home to immigrant Algerian workers and was read aloud to the mostly illiterate men:

"Yesterday at dawn, the Jews of Paris were arrested. The old, the women, and the children. In exile like ourselves, workers like ourselves. They are our brothers. Their children are like our own children. The one who encountersone of his children must give that child shelter and protection for as long as misfortune or sorrow lasts. Oh, man of my country, your heart is generous."

I cannot read those words without tears coming to my eyes.

With a very few exceptions, all the Jews arrested during these two days in July were transported to Auschwitz where they were murdered.

My own parents were not arrested in that roundup, because they were Jews from Romania and were still under the protection of the Romanian government.In the fall, Romania withdrew its protection. My parents were arrested in May 1943 and deported to Auschwitz in June, never to return.

My brother, sister and myself had been sent away to the countryside by our parents in early 1943, and we survived the war in hiding. My 17-year old brother was on his own, but my sister and myself, aged 13 and 4, were taken in charge by a clandestine rescue network which saved our lives, together with those of 500 other Jewish children.

That network was not connected with the Paris mosque. It consisted of Catholics, Protestants, Jews, and communists who worked together, risking their lives to save Jewish children.

Nearly 50 years after the end of the war, in 2003, I saw a short article in the newsletter of the association of Jews hidden from the Nazis as children.The article by Derri Berkani, the film maker asked for witnesses to the mosque rescue activities.

This was in the period after 9/11, when there were many attacks against Muslims in the United States. The public, ignorant about Islam, equated Muslims with terrorists.

I got in touch with Derri Berkani, a friend from my days in Paris, and obtained a copy of the film, subtitled it in English, and have shown it in churches and schools and community centers together with a telling of my own story.

I thought that the fact that the movie was presented by a holocaust survivor would shake viewers into understanding that prejudice, whether against Jews or Muslims, is based on ignorance. For instance, people do not know that through the centuries, Jews and Muslims have often lived together in peace in many lands in North Africa and the Middle East.

The story of the mosque has circulated through the web, and a beautifully illustrated children's book about it has just come out. There is also talk of a full-length fiction film.

I want to thank Mari Ikeda and Mai Yoneda for adding Japanese subtitles and showing the film here. I find the title of this festival very hopeful:Goodbye war!
When some countries have accumulated an extraordinary array of military killing technology, all of it mostly used against civilians, the time has come to reject war as a means to resolve disputes between states. I hope that the diffusion of this film will be a small step in that direction.


2009年11月13日(Fri)▲ページの先頭へ
前売り券
前売り券お申し込み方法

メール■info@eigasai-60.com または
TEL■03−5807−3101
FAX■03−3834−2406 まで、
     
@お名前
Aお電話番号
Bご住所(チケット郵送先)
C希望枚数
をお知らせください。

* メールの件名を「前売り券」として送信ください。
* FAXにつきましても、最上部に「前売り券」と
  書き込んで送信ください。


宣伝にご協力下さい!
映画祭のチラシや前売り券を配れるという方や、チラシを置けるスペースをご存知の方がいましたら是非宣伝にご協力をお願い致します!
映画祭スタッフも随時募集中☆

以下宣伝文&チラシ(JPEG)です

【転送大歓迎】
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
          おかげさまで5周年! 
    12月12日 さらば戦争!映画祭 2009  
          http://www.eigasai-60.com
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
   ■プログラム 

   10:05『パリのモスク 知られざるレジスタンス』
   10:40『満蒙開拓団ドキュメンタリー』
   11:25  中国残留邦人の方トーク
   11:50  昼休(60分)
   12:50『花と兵隊』
   14:36  安岡卓治プロデューサートーク
   15:15『朝鮮の子』
   15:50『るんみの場合』
   16:20  佐々木芳彦監督トーク
   16:55『ヒロシマ・ピョンヤン』
   18:40『記憶にございません』
   19:50  国本隆史監督トーク

 *プログラム等は予告なく変更することがございます。
   最新情報はブログにてご確認ください。
 *なお、当日の進行状況等によっても若干の時間変更がある場合
   もございます。予めご了承ください。
   ご覧になりたい作品の開始に間に合うようお早めにお越し下さい。
 *入替え制ではございません。

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   ■2009年12月12日(土)
     10時〜20時半 (開場9:40)
   
   ■入場料:2500円(当日)/2000円(前売)
    *一日通し券のみとなります。途中入退場可。
    *障がい者手帳提示で1500円(付添い1人まで1500円)
    *被爆者、中国残留邦人の方 当日申告1500円

   ■会場 在日本韓国YMCA 9階国際ホール
http://www.ymcajapan.org/ayc/jp/map1.htm        
  JR水道橋駅徒歩6分、御茶ノ水駅徒歩9分、地下鉄神保町駅徒歩7分
  (〒101-0064 東京都千代田区猿楽町2-5-5 電話 03-3233-0611)
                                    
   ■前売り券お申し込み
    info@eigasai-60.com または
    TEL 03−5807−3101
    FAX03−3834−2406 まで、
     @お名前
     Aお電話番号
     Bご住所(チケット郵送先)
     C希望枚数
       をお知らせください。
         * メールの件名を「前売り券」として送信ください。
         * FAXにつきましても、最上部に「前売り券」と
            書き込んで送信ください。

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          2009年コンセプト
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 戦争や植民地支配によって翻弄され移動をよぎなくされた人々―
  語られなかった・語れなかったことを伝えようとする人々―
     その言葉を受け止め、つなごうとする人々―

      それぞれのまなざしが交差するとき              
  記憶は過去の遺物ではなく 現在へつながる道の起点となる
     そこからのみ、未来を創造する道が見える

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       さらば戦争!映画祭2009 上映作品
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『パリのモスク−知られざるレジスタンス』
A Forgotten Resistance :The Mosque of Paris
1991年/26分/フランス語(日・英字幕付き)

第二次大戦中、ナチスに追われるユダヤ人を守ったパリのモスク。 
現在対立しているユダヤとイスラム世界だが、フランスにおいて
民族を越え、ナチスに抗したレジスタンスの活動があったことや、
フランスの植民地出身の人々がフランス兵として闘った歴史を知る
人は少ない。アルジェリア系フランス人の監督の作品。日本未公開。
______________________________
『花と兵隊 Flowers & Troops』
2009年/106分/日本語 http://www.hanatoheitai.jp/

もうひとつの「戦後」の記録― なぜ彼らは日本に還らなかったのか?
六十余年前後に届いた、「未帰還兵」の遺言―。
かつて、地獄の戦場がアジアにあった。太平洋戦争中、約十九万の
将兵が命を失ったビルマ。『花と兵隊』は、タイ・ビルマ国境付近
で敗戦を迎えた後、祖国に還らなかった六名の日本兵、すなわち
「未帰還兵」を描いたドキュメンタリー映画である。
______________________________
『朝鮮の子』
1954年/30分/日本語・朝鮮語/モノクロ

「僕たちはお父さんやお母さんのおかげで、僕たちの国の言葉や地理、
歴史を習っています。立派な朝鮮人になるためです。」
この映画は当時の生徒の作文をもとに作られた。
1952年、東京都教育委員会が「都立朝鮮人学校は、昭和31年
3月31日限り廃校する」という、一方的な通告に憤激した在日朝鮮
人たちが「民族教育」を守れと、「朝鮮の子制作委員会」を組織し
制作した貴重な映画。
______________________________
『るんみの場合 −若き在日、「韓流」そして自分史を語る』
2009年/28分/日本語

2003年『冬のソナタ』から始まった
「韓流ブーム」は日本社会に何をもたらせたのか。
アンケートから見えてきたのは日韓双方から
置き去りにされた「在日社会」。
一人の在日三世が韓流と祖国への揺れる想いを
自分史と共に語るパーソナル・ドキュメンタリー。
______________________________
『ヒロシマ・ピョンヤン 棄てられた被爆者』
2009年/90分/朝鮮語・日本語
http://www.jca.apc.org/~earth/iinkai.html

朝鮮民主主義人民共和国の首都・平壌(ピョンヤン)で暮す李桂先
(リ・ケソン)さん。彼女の両手には、指ごとに包帯が巻かれていた。
「どういうわけか指の皮がしょっちゅう剥がれ、薬を塗って包帯し
ないと血がにじむんです」と語る。指ばかりでなく、子どもの頃から
消化器の病にも苦しみ続けてきた。李桂先さんが、自分の健康を蝕ん
できた原因を知ったのは2004年。広島から訪ねて来た母親は、
病に苦しむ娘を見て広島市で被爆していることを告げた。
被爆から59年。それまで母親が黙っていたのには、深い理由があった。

______________________________
『記憶にございません〜きのこ雲を探して〜』
2009年/70分/日本語

学生のころ被爆者の証言を聞いたが、証言を聞いてもどうしたらいい
のか分からなかった。あの日に起きたことが想像できない。
核廃絶のために自ら運動しようとも思わない。黙祷しても何に対して
祈ったらいいのか分からない。居心地の悪さを抱えたまま、
8年後、僕は103名の被爆者と世界一周の船旅に出かけた。
自分と被爆証言を結ぶ橋を探しに。

ピースボート ヒバクシャ地球一周 証言の航海
http://ameblo.jp/hibakushaglobal/

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           スタッフ募集&カンパのお願い
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 
 私たちと一緒に映画祭を企画・運営しませんか?
 当日スタッフも大募集しております!
 info@eigasai-60.com までご連絡ください♪お待ちしています!

 また、映画祭は有志による自主上映企画です。
 運営費のカンパを呼びかけています。何卒ご協力をお願い致します。 

 *郵便振替口座です。
 *通信欄にカンパとご記入ください。

   ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
   ┃ 口座名義 さらば戦争映画祭実行委員会    
   ┃ 郵便口座 00130−8−686075 
   ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 

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さらば戦争!映画祭実行委員会           
______________________________
〒110-0015 東京都台東区東上野1-20-6 丸幸ビル3階
オリーブの樹法律事務所気付
「さらば戦争!映画祭」実行委員会
TEL 03−5807−3101
FAX 03−3834−2406
   メール: info@eigasai-60.com
   URL:  http://www.eigasai-60.com
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2009年10月27日(Tue)▲ページの先頭へ
タイムテーブル
 9:40 開場
10:00 開会挨拶(5分)
10:05 パリのモスク解説+上映(30分)
10:35 休憩(5分)

10;40 満蒙開拓団ドキュメンタリー(45分)
11:25 中国残留孤児の方トーク
11:50 昼休(60分)

12:50 花と兵隊(106分)
14:36 安岡卓治プロデューサートーク
15:00 休憩(15分)

15:15 朝鮮の子(30分)
15:45 休憩(5分)
15:50 るんみの場合(30分)
16:20 佐々木芳彦監督トーク
16:40 休憩(15分)

16:55 ヒロシマピョンヤン(90分)
18:25 休憩(15分)

18:40 記憶にございません〜きのこ雲を探して(70分)
19:50 国本隆史監督トーク
20:10 質疑応答 (20分)
20:30 閉会挨拶・終了(予定)




2009年10月23日(Fri)▲ページの先頭へ
オリジナルTシャツ
GoodBye WAR! FilmFestival 2009
オリジナルTシャツ予約受付中☆
サイズ:SS S M L
1枚1500円です
シルクスクリーン
乾かして
完成!
Tシャツ作り終わってゴハン★

姐姐の手作り料理 真好吃的!!!

今日のメニューは豆板醤チヂミ、チゲ鍋(辛〜)、炒飯☆

Tシャツ制作の作業は ほとんど中国語で行なわれました。
シルクスクリーンの先生は 中国帰国者(残留孤児)でTシャツ制作メンバーも 4人は帰国者2世3世だったからです。ときどき先生に「快点儿!」と檄を飛ばされながらTシャツが完成。^^
その後はチゲ鍋を食べながら 中国語日本語混じってみんなでいろいろ話していました。
特に印象深かった話を1つ。
「遣唐使で日本から中国に来てそのまま残った人が居て、
その子孫が南京の近くに暮らしていたんだけど
南京大虐殺により皆殺されてしまった という碑が
ある村にあったよ」

いま「日本人」と言われる人々の先祖には 元を辿れば大陸からきた人の子孫も多く居るって たしか歴史の授業で習ったなあ。
日本の人たちと中国の人たちとは、大陸から列島に渡った人たちと大陸に残った人たちと言うこともできるだろう。

海を渡って行ったり、来たり。それぞれの時代で いろんな理由で 行ったり 来たり。
戦争の時代というものも その行ったり来たりの間にあった出来事の一つなのかあ。
鍋を食べながら そんなことを思った。

(米)


2009年10月15日(Thu)▲ページの先頭へ
さらば戦争!映画祭とは
戦後60年を機に始まり、今年5回目をむかえる
「さらば戦争!映画祭」。
戦争の被害だけでなく加害も伝える作品の上映を
通して、戦争に「さらば」を告げるにはどうして
ゆけばいいのかを、様々なルーツや年代のメンバー、
ゲスト、参加者と一緒に考えていきます。

■■■さら戦2009年のコンセプト■■■

戦争や植民地支配によって翻弄され
移動をよぎなくされた人々―
語られなかった・語れなかったことを伝えようとする人々―
その言葉を受け止め、つなごうとする人々―

それぞれのまなざしが交差するとき
記憶は過去の遺物ではなく
現在へつながる道の起点となる
そこからのみ、未来を創造する道が見える

(中国海南島)


会場MAP
在日本韓国YMCA 9階国際ホールASIA YOUTH CENTER


■ウェブサイト:
http://www.ymcajapan.org/ayc/jp/
■住所:
101-0064 東京都千代田区猿楽町(さるがくちょう)2-5-5
■JR水道橋駅徒歩6分、御茶ノ水駅徒歩9分、地下鉄神保町駅徒歩7分

TEL:03-3233-0611 FAX:03-3233-0633


■URL:
http://www.ymcajapan.org/ayc/jp/
■Adress:
2-5-5 Sarugaku-cho, Chiyoda-ku, Tokyo, 101-0064, Japan
■JR Suidobashi sta. 6min, Ochanomizu sta. 9min, Subway Jimbocho sta 7min




スタッフ大募集! 実行委員会 連絡先
さらば戦争!映画祭では、ボランティアスタッフを大募集しています。映画が好きな方、戦争や植民地時代の歴史に関心のある方(ない方も!)興味を持たれたらぜひミーティングに遊びに来てください☆

■■■映画祭実行委員会連絡先■■■

■メール
info@eigasai-60.com
■住所
〒110-0015 東京都台東区東上野1-20-6 丸幸ビル3階
オリーブの樹法律事務所気付
「さらば戦争!映画祭」実行委員会


■■■今後の映画祭ミーティング日程■■■

10/28(水)19時〜  ミーティング
11/1 (日)9時半〜17時 Tシャツ作り
11/18(水)19時〜  ミーティング
12/1 (火)19時半〜 ミーティング
12/11(金)17時〜前日準備 19:30〜会議
12/12(土)当日


(日本東京)


2009年10月07日(Wed)▲ページの先頭へ
2009作品紹介「パリのモスク」The Mosque of Paris
「パリのモスク−知られざるレジスタンス」
A Forgotten Resistance :The Mosque of Paris
1991年/26分/フランス語(日・英字幕付き)
French (with English & Japanese subtitles)

アメリカからのメッセージはコチラ
A Message from U.S(English)


第二次大戦中、ナチスに追われるユダヤ人を守ったパリのモスク。 
現在対立しているユダヤとイスラム世界だが、フランスにおいて民族を越え、ナチスに抗したレジスタンスの活動があったことや、フランスの植民地出身の人々がフランス兵として闘った歴史を知る人は少ない。
彼らの「埋もれた歴史」は、朝鮮や台湾など日本の植民地出身で「日本兵」として闘わざるをえなかった人々や、日本の侵略戦争に抗した人々の歴史が日本では語られてこなかったことと重なる。

この作品が映し出す出来事は、60余年前のパリで移民のイスラム教徒やフランス人、ユダヤ人の間にだけ起こったことではない。
これまで世界のいたるところで、戦争や災害に痛めつけられた人々は同じ勇気と友愛に満ちた行動をとってきたのではないだろうか。
アルジェリア系フランス人の監督の作品。日本未公開。

原題:UNE RESISTANCE OUBLIEE.. LA MOSQUEE
監督:デリ・ベルカニ
Director: Derri Berkani













2009作品紹介「花と兵隊」
『花と兵隊 Flowers & Troops』
2009年/106分/日本語
公式 Web Site

もうひとつの「戦後」の記録―
なぜ彼らは日本に還らなかったのか?

六十余年前後に届いた、「未帰還兵」の遺言―。

かつて、地獄の戦場がアジアにあった。太平洋戦争中、約十九万の将兵が命を失ったビルマ。『花と兵隊』は、タイ・ビルマ国境付近で敗戦を迎えた後、祖国に還らなかった六名の日本兵、すなわち「未帰還兵」を描いたドキュメンタリー映画である。

監督:松林要樹










2009年10月06日(Tue)▲ページの先頭へ
2009作品紹介「証言の証言」
「証言の証言」
2009年/70分/DV/日本語

学生のころ被爆者の証言を聞いたが、
証言を聞いてもどうしたらいいのか分からなかった。
あの日に起きたことが想像できない。
核廃絶のために自ら運動しようとも思わない。
黙祷しても何に対して祈ったらいいのか分からない。
居心地の悪さを抱えたまま、
8年後、僕は103名の被爆者と世界一周の船旅に出かけた。
自分と被爆証言を結ぶ橋を探しに。

監督:国本隆史

ピースボート ヒバクシャ地球一周 証言の航海
http://ameblo.jp/hibakushaglobal/
(9月7日から129日をかけて行われたピースボート「地球一周の船旅」では、
広島・長崎のヒバクシャ103名が平和と核廃絶へのメッセージを伝えるために
20カ国23寄港地を訪問し被爆体験の証言をしました。)


(被爆証言を聞く青年達)




2009作品紹介「朝鮮の子」
「朝鮮の子」
1954年/30分/日本語・朝鮮語(日字幕)/モノクロ

「僕たちはお父さんやお母さんのおかげで、僕たちの国の言葉や地理、歴史を習っています。立派な朝鮮人になるためです。」
この映画は当時の生徒の作文をもとに作られた。
1952年、東京都教育委員会が「都立朝鮮人学校は、昭和31年3月31日限り廃校する」という、一方的な通告に憤激した在日朝鮮人たちが「民族教育」を守れと、「朝鮮の子制作委員会」を組織し制作した貴重な映画。

製作:朝鮮の子制作委員会、在日朝鮮映画人集団
提供:総聯映画製作所



2009作品紹介「るんみの場合」
「るんみの場合 −若き在日、「韓流」そして自分史を語る」2009年/28分/日本語/カラー

2003年『冬のソナタ』から始まった
「韓流ブーム」は日本社会に何をもたらせたのか。
アンケートから見えてきたのは日韓双方から
置き去りにされた「在日社会」。
一人の在日三世が韓流と祖国への揺れる想いを
自分史と共に語るパーソナル・ドキュメンタリー。

監督:佐々木芳彦



2009年06月02日(Tue)▲ページの先頭へ
2009作品紹介「ヒロシマ・ピョンヤン」
「ヒロシマ・ピョンヤン 棄てられた被爆者」
2009年/90分/朝鮮語・日本語(日字幕)
公式 Web Site

朝鮮民主主義人民共和国の首都・平壌(ピョンヤン)で暮す李桂先(リ・ケソン)さん。彼女の両手には、指ごとに包帯が巻かれていた。「どういうわけか指の皮がしょっちゅう剥がれ、薬を塗って包帯しないと血がにじむんです」と語る。指ばかりでなく、子どもの頃から消化器の病にも苦しみ続けてきた。李桂先さんが、自分の健康を蝕んできた原因を知ったのは2004年。広島から訪ねて来た母親は、病に苦しむ娘を見て広島市で被爆していることを告げた。被爆から59年。それまで母親が黙っていたのには、深い理由があった。

監督:伊藤 孝司(いとう・たかし)

1952年長野県生まれ。フォトジャーナリスト。
日本の過去と現在を、アジアの民衆の視点からとらえようとしている。アジア太平洋戦争で日本によって被害を受けたアジアの人々、日本がかかわるアジアでの大規模な環境破壊を取材し、雑誌・テレビなどで発表している。また、日韓・日朝関係に関する取材にも力を入れている。
URL「伊藤孝司の仕事」






   










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カレンダ
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